一穂ミチさんの小説、『恋とか愛とかやさしさなら』を読み終えました。
本作は2025年本屋大賞ノミネート作品の第7位に選ばれた話題作。
読み始めたら止まらず、気づけば一気読みしていました。
恋愛小説でありながら、「信じること」「許すこと」「愛すること」という普遍的なテーマに正面から向き合った、読後にじんわりと考えさせられる一冊です。
「恋とか愛とかやさしさなら」あらすじ
プロポーズの翌日、恋人が盗撮で捕まった。
カメラマンの新夏(にいか)は、恋人の啓久(ひらく)と交際5年。東京駅の前でプロポーズしてくれた、その翌日のことでした。啓久が通勤中に女子高生を盗撮したとして、ふたりの関係は一夜にして一変してしまいます。
「二度としない」と誓う啓久。それでも新夏は葛藤します――やり直せるのか、別れるべきなのか。啓久が”出来心”で犯した罪は、周囲の人々をも巻き込み、思わぬ波紋を広げていきます。
信じるとは。許すとは。愛するとは。
男と女の欲望のブラックボックスに迫る、著者の新境地となる恋愛小説です。
二部構成が生む、深みのある読書体験
前半「恋とか愛とかやさしさなら」── 新夏の視点
後半「恋とか愛とかやさしさより」 ── 啓久の視点
前半は、裏切られた新夏の混乱・怒り・迷いがリアルに描かれます。「やり直すのか、別れるのか」という問いがずっと頭に浮かんで、ページをめくる手が止まりませんでした。
後半で啓久の視点に切り替わると、印象がガラリと変わります。啓久は誠実で、真面目な人物として描かれていて、「どうしてそんなことをしてしまったのか」と、読んでいる私の方が悲しくなってくるくらいでした。
また、後半に登場する莉子ちゃんのエピソードもとても印象的。彼女にはもっと自分を大切にして、幸せになってほしいと心から思いました。
読んで考えたこと――「信じる」は0か100か
作中にこんな言葉があります。
恋とか愛とかやさしさなら、打算や疑いを含んでいて当然だけど、信じるという行為はひたすらに純度を求められる。0か100しか存在しないと。
この一節が、読み終えてからもずっと頭に残っています。
自分だったらどうするだろうと考えたとき、おそらく新夏と同じ結論を出すだろうなと思いました。でも同時に、こうも思うのです。
「信じる」って、本当に100%じゃなきゃいけないのだろうか。
もっとゆるい「信じる」があってもいいんじゃないか。完全には信じきれなくても、それでもそばにいることを選ぶ、そういう形の愛があってもいいんじゃないか――と。
正解のない問いを、読み終えた後もしばらく考え続けてしまいました。
「恋とか愛とかやさしさなら」書評まとめ
『恋とか愛とかやさしさなら』は、単純な「純愛小説」でも「裏切りの話」でもありません。人を信じることの難しさ、それでも誰かを愛することの意味を、丁寧に、そしてリアルに描いた作品です。
恋愛小説が好きな方はもちろん、人間関係や信頼について考えたいという方にも、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。
気になった方は、ぜひ読んでみてくださいね。
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